筆者は、原泰久先生の人気漫画「キングダム」の大ファンである。
「キングダム」は、500年もの大戦国時代において、中国を初めて統一した「秦」。その過程は、苛烈な戦争また戦争である。そんな時代、少年「信」は、自らの腕で天下に名を成すことを目指していく物語である。
本作品は、テレビアニメも映画も大人気となった。ご覧になった方もおみえになるだろう。
そこで、今回は、「秦の中国統一」を取り上げる。
秦の統一
前221年、秦王の政(せい)が中国の統一に成功し、自らを「始皇帝」と称した。
都は、戦国時代の秦から引き続いて、「咸陽」に置いた。
始皇帝の政策
徹底した中央集権化政策を、短期間で成し遂げようとした。
丞相(皇帝を補佐する最高の役職)についた李斯(りし)がこれを実行した。
1 郡県制を全国に実施した。
支配した地域を郡に分けて、それぞれの郡や県に、皇帝が直接任命した官吏を長官として派遣した。
2 貨幣、度量衡(長さ、重さなどの単位)、車軌(車の幅)、文字などの統一を行った
貨幣では、半両銭という銅銭をつくらせ、文字は、小篆と呼ばれる漢字に統一した。
3 焚書坑儒を行って、言論・思想の弾圧を行った
焚書とは、生活に必要な書物以外を燃やし去ることで、坑儒とは、儒者を生き埋めにすることである。
対外政策では、最大の敵である北方の遊牧民、「匈奴」への対策が中心となった。
1 北方では、蒙恬(もうてん)に30万もの軍隊で匈奴を攻撃させ、長城の修復の指揮を執らせ、その侵入に備えた。
2 南方では、華南からベトナム北部まで征服して、新しく、南海郡など3郡を置いた。
秦の滅亡
秦の滅亡の原因
1 あまりにも急激な改革で、旧諸侯から強い反発を買った。
2 厳しい負担(重税、重労働)を課して、民衆の反乱を招いた。
特に大規模な工事は民衆を大いに苦しめた。
・「万里の長城」の改修
・大宮殿「阿房宮」や陵墓「驪山(りざん)陵」の建設
特に驪山陵では、1974年に、周囲から兵馬俑という実物大の陶製の兵士や軍馬が臨戦態勢で、約7,000体が埋まっているのが発見され、中国考古学史上の大発見となった。
前210年に始皇帝が死ぬとまもなく、「陳勝・呉広の乱」をはじめとする多くの反乱が起こり、前206年に秦はあっけなく滅んだ。
(参考)これならわかる!ナビゲ-タ-世界史B (2) 鈴木 敏彦 (編集) 山川出版社
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