もっと世界史を学ぼう!「漢の建国」

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brown concrete wall surrounded by trees 学び
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初めて中国を統一した秦だが、前210年に始皇帝が死ぬとまもなく、「陳勝・呉広の乱」をはじめとする多くの反乱が起こり、前206年にあっけなく滅んだ。

ところで、陳勝・呉広は戦死するが、この混乱のなかで、頭角を現したのが、楚の名門出身の「項羽」と江蘇の農民出身の「劉邦」である。

最終的には、劉邦が項羽を破って、前202年漢王朝を開く。

漢民族・漢字など漢王朝を由来とする「漢」は、現在でも中国文化を代表する語として用いられている。

ちなみに、「項羽と劉邦」は、この項羽と劉邦の戦いを扱っており、様々な作品となっている。

有名なものに、司馬遼太郎の小説や横山光輝の漫画がある。

漢(前漢)の建国

前漢の時代は、約200年間続いた。

劉邦の政策

劉邦は、項羽を破ったあと、渭水盆地の長安を都に漢王朝を建てた。劉邦(高祖)の国内政策の特色は、郡国制によって全国を統治したことである。

郡国制とは、漢王朝が直接支配できる地域では、郡県制を行い、それ以外では、一族や功臣に彼らの国として治めさせるという体制である。

郡県制を実施するのは、とりあえずできる地域だけに留めて、秦のような無理はしなかった。

しかし、劉邦も晩年となると、自分の子孫の安全のために、多くの功臣たちを無実の罪で処罰し、彼らの国を奪って、劉氏一族で固めようとした。

対外的には、劉邦の時代は、匈奴の圧迫を受け続けた。

実際、劉邦は、匈奴の英雄、冒頓単于(ぼくとつぜんう)に徹底的に敗れ、屈辱的な条件で和平を請うほどであった。

参考)これならわかる!ナビゲ-タ-世界史B (2) 鈴木 敏彦 (編集) 山川出版社 

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