新・登録販売者試験まとめノート(17)「4 薬害の歴史(1)」

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登録販売者

(1)医薬品による副作用等に対する基本的考え方

医薬品は、人体にとって本来異物であり、治療上の効能・効果とともに何らかの有害な作用(副作用)等が生じることは避けがたいものである。
副作用は、眠気、口渇等の比較的よく見られるものから、死亡や日常生活に支障を来すほどの重大なものまで、その程度は様々であるが、それまでの使用経験を通じて知られているもののみならず、科学的に解明されていない未知のものが 生じる場合もあり、医薬品の副作用被害やいわゆる薬害は、医薬品が十分注意して使用されたとしても起こり得るものである。

このように医薬品が「両刃の剣」であることを踏まえ、医薬品の販売に従事する専門家を含め、 関係者が医薬品の安全性の確保に最善の努力を重ねていくことが重要である。

(2)医薬品による副作用等にかかる主な訴訟 (その1)

(a) サリドマイド訴訟

催眠鎮静剤等として販売されたサリドマイド製剤を妊娠している女性が使用したことにより、出生児に四肢欠損耳の障害等の先天異常(サリドマイド胎芽症)が発生したことに対する損害賠償訴訟である。1963年6月に製薬企業を被告として、さらに翌年12月には 国及び製薬企業を被告として提訴され、1974年10月に和解が成立した。 

サリドマイドは催眠鎮静成分として承認された(その鎮静作用を目的として、胃腸薬にも配合された)が、副作用として血管新生を妨げる作用もあった。妊娠している女性が摂取した場合、サリドマイドは血液-胎盤関門を通過して胎児に移行する。胎児はその成長の過程で、 諸器官の形成のため細胞分裂が活発に行われるが、血管新生が妨げられると細胞分裂が正常に行われず、器官が十分に成長しないことから、四肢欠損、視聴覚等の感覚器や心肺機能の障害等の先天異常が発生する。 

なお、血管新生を妨げる作用は、サリドマイドの光学異性体のうち、一方の異性体(S体)のみが有する作用であり、もう一方の異性体(R体)にはなく、また、鎮静作用はR体のみが有するとされている。サリドマイドが摂取されると、R体とS体は体内で相互に転換するため、R体のサリドマイドを分離して製剤化しても催奇形性は避けられない。 

サリドマイド製剤は、1957年に西ドイツ(当時)で販売が開始され、日本では1958年1月から販売されていた。1961年11月、西ドイツのレンツ博士がサリドマイド製剤の催奇形性について警告を発し、西ドイツでは製品が回収されるに至った。一方、日本では、同年12月に西ドイツ企業から勧告が届いており、かつ翌年になってからもその企業から警告が発せられていたにもかかわらず、出荷停止は1962年5月まで行われず、販売停止及び回収措置は同年9月であるなど、対応の遅さが問題視された

(b) スモン訴訟 

整腸剤として販売されていたキノホルム製剤を使用したことにより、亜急性脊髄視神経症 (英名 Subacute Myelo-Optico-Neuropathy の頭文字をとってスモンと呼ばれる。)に罹患したことに対する損害賠償訴訟である。スモンはその症状として、初期には腹部の膨満感から激しい腹痛を伴う下痢を生じ、次第に下半身の痺しびれや脱力、歩行困難等が現れる。

麻痺は上半身にも拡がる場合があり、ときに視覚障害から失明に至ることもある。 キノホルム製剤は、1924年から整腸剤として販売されていたが、1958年頃から消化器症状を伴う特異な神経症状が報告されるようになり、米国では1960年にアメーバ赤痢への使用に限ることが勧告された。日本では、1970年8月になって、スモンの原因はキノホルムであるとの説が発表され、同年9月に販売が停止された。

1971年5月に国及び製薬企業を被告として提訴された。被告である国は、スモン患者の早期救済のためには、和解による解決が望ましいとの基本方針に立って、1977年10月に東京地裁において和解が成立して以来、各地の地裁及び高裁において和解が勧められ、1979年9月に全面和解が成立した。 

サリドマイド訴訟、スモン訴訟を契機として、1979年、医薬品の副作用による健康被 害の迅速な救済を図るため、医薬品副作用被害救済制度が創設された。

(参考)
・登録販売者試験問題作成に関する手引き(令和7年4月)
・ズルい!合格法シリーズ ズルい!合格法 医薬品登録販売者試験対策 鷹の爪団直伝!参考書 Z超 株式会社医学アカデミーYTL(著)薬ゼミ情報教育センター

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